UWTSD学友会による、卒業生登壇の講演会が開催されました。テーマは、「地域医療の課題と総合診療科という可能性」です。
19期の卒業生である齊藤裕之氏(山口大学医学部附属病院 診療部准教授、臨床教育センター副センター長)が登壇し、 齊藤氏ご自身の言葉で、日本の医療が直面する構造的課題と総合診療科の可能性について語っていただきました。
- プロフィール
- 1. 自己紹介とMBAでの学び
- 2. 医療政策への根本的な問いかけ
- 3. 日本は50年遅れていると言われる総合診療医という存在
- 4. 総合診療医がもたらすエビデンス
- 5. 迫りくる危機、2040年問題
- 6. 予防医療という上流戦略
- 7. 健康の社会的決定要因
- 8. 価値観に寄り添う終末期医療
- 9. 山口県での10年間
- 10. エビデンスから導かれる結論
- 11.MBAの学びを社会に還元する
プロフィール

齊藤裕之(さいとうひろゆき)氏
山口大学医学部附属病院 総合診療部 准教授/臨床教育センター 副センター長
2000年川崎医大卒。同大総合診療部、飯塚病院(03年ベストレジデント受賞)、 岡山家庭医療学センター、東京医大総合診療部助教(07年、08年ベスト指導医受賞)などを経て 2016年より現職。2013年にウェールズ大学トリニティセントデイビッド(UWTSD)MBAプログラムを修了(東京19期)。 修士論文は「組織市民行動、離職意思」をテーマに石川淳教授(立教大学経営学部)に師事。 2019年の医師専門医制度から、日本に総合診療専門医が新設。 現在、総合診療医として地域医療に従事しながら、若手医師の育成、研究に努める。
1. 自己紹介とMBAでの学び
私は2000年に医学部を卒業しまして、現在26年目の医師として活動しております。2011年にUWTSD MBAプログラムを修了した後、地元の山口県に戻りまして、総合診療と地域医療に従事しています。
MBAでは石川先生のご指導の下、リーダーシップ、医療従事者の離職、組織市民行動について修士論文を執筆しました。 人材育成に強い関心がありまして、現在は病院の7割が赤字という時代において、年間10件程度のリーダーシップに関する講演をさせていただいています。
私が山口県に戻るきっかけになったのは、石田先生の「社会起業論」という授業でした。地域がどんどん衰退していく中で、 地域を活性化していくという考え方に非常にインスパイアされまして、「あ、これだ」と思ったんですね。 最後はうちの妻が「夫の幸せが多分家族の幸せになるだろう」という一言がきっかけで、家族みんなで山口県に戻っていったという経緯があります。 現在は大学教員、臨床医、指導医、教育管理者、そして総合診療プログラムのディレクターとして、 どちらかというと総合診療の育成マネージャーとしての役割で活動させていただいています。
2. 医療政策への根本的な問いかけ
まず、皆さんにちょっと考えていただきたいんですけども、もし皆さんが地方の知事とか市長になって、自分の地域の心筋梗塞や脳梗塞の死亡率が高いので健康度を上げたいと思っているとします。次のうち何を選択しますか?
1. 医療費を増やす
2. 医師を増やす
3. 看護師を増やす
4. 保健師を増やす
5. 全部やる
6. どれでもない
よく「医師を誘致します」という公約がありますけども、それが本当に地域の健康を上げることにつながるのかということですね。
これは2017年の日本の47都道府県を調査した研究なんですけども、医療費をたくさんかければ死亡率が下がるんじゃないかという仮説で調べたんですが、統計解析をすると、医療費と死亡率には相関はないということになります。例えば、同じ医療費をかけている長野県と東京を比べると、長野県の方が死亡率が低いという結果です。つまり、医療費を増やしても日本人の死亡率は下がらなかったということですね。
医師数も同じです。47都道府県で最もお医者さんが多い東京よりも、医師数が少ない長野県の方が死亡率が低い。統計解析すると相関はないんです。看護師さんと保健師さんも同様で、これどれも死亡率の改善につながらなかった。
この論文の考察には、日本の医療政策を根本的に見直さないといけないんじゃないかと書いてあって、我々医療従事者にとっては結構インパクトのある論文でした。結局医者が増えても死亡率下がらない、健康改善にならないということは、科学的根拠がないんじゃないかということですね。
じゃあ、何が病気の発症率とか死亡率に影響するんだろうか。これがやっぱり単純な疑問になってくるわけです。
3. 日本は50年遅れていると言われる総合診療医という存在
アメリカでは総合診療、家庭医療(family practice)と言いますけども、1969年に20番目の専門医として確立されてるんですよね。50年以上も前です。
戦後、循環器や消化器といった臓器別専門研修が盛んになって、専門医を取ると患者さんの信頼や給料も上がるということで、ほとんどの医師が専門医を取るようになりました。その結果、地域で子どもから大人まで幅広く見てくれる総合診療医がどんどん減少していった。そこで、総合診療の必要性を市民が提言して、アメリカでは1969年に専門医として設置されたわけです。
一方、日本では2018年にようやく19番目の総合診療専門医として認められました。つい最近TBSで「19番目のカルテ」というドラマがあって、松潤が主役でしたね。私の診察室に来る患者さんは「松潤ですね、先生」みたいな感じで…ここちょっと笑うとこなんですけど(笑)。ようやく総合診療もドラマ化されたということです。
この50年の差というのが、やっぱりいろいろな地域の課題を引き起こしてるんじゃないかなと思います。今、総合診療専門医はまだ1,000人程度。全然地域をカバーできないですね。
総合診療医の守備範囲
日本人1,000人を1ヶ月追った調査があります。862人の住民が何らかの異常を訴えて、そのうち307人が医療機関を受診します。病院外来が88人、ER受診が10人、大学病院入院は0.3人です。
我々の医学教育は主に大学病院でやってますけども、そこは稀な疾患ばっかりなんですよね。大学病院にいると風邪も診ないし、腹痛も診ない。じゃあ彼らが地域に行った時に風邪の症状を訴えている人を診れるの?コロナを診れるの?となってくる。
総合診療医の守備範囲は、この307人のファーストコンタクトを担う、プライマリーケアを支える仕事です。プライマリ・ケアとは皆さんが困った時に最初にかかる医療機関のことを言います。そして、来院した健康問題の93%を自己完結できる診療能力を研修で養います。単なる振り分けではないということですね。
臓器別専門医は大学病院で特定臓器の高度医療を提供します。一方、総合診療医は診療所や中小病院で年齢・臓器を問わず診療します。私は山口大学所属ですが、300床規模の市中病院に教育センターを設置してもらって、365日24時間診療していますが、総合診療医なのでプライマリ・ケアのフィールドに身を置かせてもらっています。
4. 総合診療医がもたらすエビデンス
総合診療医がいることによって本当にメリットあるの?という研究が、2005年から2020年ぐらいにかけていろんな国で出てます。
予防医療の効果は
• 喫煙率、アルコール依存、肥満の減少
• 糖尿病合併症の改善
• 癌の早期発見率上昇
• 心疾患・脳卒中発症率の低下
• 癌死亡率の減少
• 服薬コンプライアンスの向上
システムの効率化は
• 無駄な入院の減少
• 再入院数・救急搬送数の減少
• 医療費の抑制(エビデンスレベルは弱い)
• 社会的弱者(低所得者、片親、孤独な方)への医療改善
と出ています。アメリカ、カナダでは人口2,000人あたり1人の総合診療医が配置される医療政策になってます。その総合診療医が住民の健康に責任を持つことで、これらの効果が出ているわけです。
5. 迫りくる危機、2040年問題
今日もそうですが、毎日80歳、90歳の要介護の患者さんが誤嚥性肺炎や心不全で2、3例入院してきます。
我々2040年問題と言ってますけども、2025年、ちょうど今年ぐらいから高齢者が急増して、現役世代が急減します。今の皆さんが受けてる医療をそのままやって欲しいとなると、2040年は5人に1人が医療従事者にならないと今の医療は受けられないということになります。今まで通りの医療を受けることがいかに難しいかということです。
入院患者の8割、救急搬送の7割が65歳以上。2040年に向けて脳梗塞と大腿骨骨折が増加します。これらは寝たきりの原因疾患の2位と3位なので、寝たきりの人がものすごく増えてくる。介護ニーズも爆発的に増加します。
年間死亡数は170万人に達する見込みです。これは東京の10人に1人が1年間で死んじゃうという計算になります。多死社会への準備をしていかないといけない。
高齢者救急の実情
毎日こういうことが起きてます。救急隊から「89歳男性、誤嚥疑い、腎不全と心不全あり」「92歳女性、施設入所中、発熱と意識低下」と連絡が来ます。かかりつけ医は「専門外なので見れない」と。当番医も「頭の問題かもしれないので専門外」と断られる。
これは他の先生を批判しているわけじゃないんです。今の現実をしっかり捉える必要があるということです。
高齢患者の6割が3つ以上の病気を持つ多疾患を併存しています。1つの臓器の専門医だけでは解決できない。20年前より救急患者の重症度も明らかに上がってます。
医師側の問題として、45歳以上の医師は全科を見る研修をしてないんですよね。だから全診療科を見るというところにしわ寄せが行ってしまう。さらに日本は病院は多いのに病床あたりの医師数が少ないという構造的な問題があります。
6. 予防医療という上流戦略
私たちは救急医療をたくさんやってますが、心筋梗塞や脳梗塞になる前、もっと上流のところに問題があるんじゃないか。地域に喫煙率が高くないか、不適切な食事が多くないか、運動習慣はあるか。もうちょっと上流の整備が大事なんじゃないかと、医療従事者だったら誰しもがそこに視点が行くんだと思います。
「子どもに迷惑かけたくないから、今から健康でいたい。何したらいいの?」とよく聞かれます。
日本人の死因に最も影響する要因は高血圧とタバコです。コレステロールや血糖値も重要ですが、まず高血圧とタバコから対策する方がコストパフォーマンスが高い。特にタバコは肺癌だけでなく、胃癌、大腸癌、子宮頸癌、腎臓癌、膀胱癌など、あらゆる癌のリスクを2〜10倍に高めます。
アメリカの先生から指摘されたことがあります。「日本の医療技術は高く平均寿命も長い。しかし、予防医療の視点と外来で患者を病気にさせない教育が圧倒的に不足している」と。これは10〜15年前の指摘ですが、現在も大きくは変わっていないと思います。
7. 健康の社会的決定要因
健康を構成する要素を分析すると、
• 個人の健康行動(運動、食事など):30%
• 医療へのアクセス(どんな医者にかかるか):20%
• 地域・社会環境(誰とどこで生活するか):40%
• 遺伝:10%
となります。つまり、「どんな医者にかかるか」よりも「どのような地域で誰と生活するか」の方が2倍重要なんです。
住民同士の繋がりが強いほど死亡率が低下します。地域参加がある人は介護リスクが低い。面白いデータがあって、一人で黙々と運動する人と、運動しないけど友人とおしゃべりする人は、ほぼ同じ介護リスク、もしくは後者の方が低い可能性があるんです。
社会的孤独はタバコ15本分に匹敵する健康リスクです。タバコは年間約18万人の日本人の死亡に関与してますが、孤独も同等のリスクを持ちます。イギリスでは世界初の「孤独担当大臣」が設置されました。
長野県の死亡率の低さの秘密がここにあります。長野県では昔から「農村大学」という取り組みがあり、住民同士が支え合う文化が根付いています。20年かけて築いた社会的繋がりが健康改善という成果として現れているんです。
8. 価値観に寄り添う終末期医療
2040年に向けて年間170万人が死亡する時代において、終末期医療は避けられないテーマです。しかし、日本の医学教育には重大な欠陥があります。診断と治療の教育は充実してますが、死に向き合うプロセスの教育はカリキュラムにほとんどないんです。結果として、患者の死への対応は医師の個人的価値観に依存しています。
私が週に何度も家族と向き合う場面があります。大切な家族が寝たきりになり、口から食べられなくなった時、胃瘻を造設すれば平均余命2年、中心静脈栄養なら1年半、緩和ケアのみなら1ヶ月。でもこの選択は平均余命だけの問題じゃないんです。その人の人生観、価値観、家族の在り方に深く関わる決断です。
意思表示できない場合、私は家族に尋ねます。「どんな方でしたか?」「何を大切にされていましたか?」「この状態をご本人はどう思われるでしょうか?」その人の人生観を紐解くことで、本人にとって最善の選択を家族と共に考える。これを若手医師に教育しています。
「うちの科ではやることがない」と言われたステージ4の癌患者が、まだ歩いて来院できる状態で来られることがあります。若手には「確かに癌の根治は難しいですが、これからの時間を悔いなく過ごせるようサポートさせてください」と言うよう教えています。
現在、若手医師を中心に救急医療の現場での緩和ケアの勉強会が急速に広まっています。治す医療と死に向き合う医療が混在する現場で、医学的スキルと感情面への対応の両方を学ぶ動きが加速しています。
9. 山口県での10年間
私が山口県に戻った当時、総合診療の研修施設はゼロでした。10年余りで27施設まで拡大しました。ただ、最大の障壁は「同業者」でした。地域政治へ巻き込まれ、利害関係の複雑さ、「出る杭を打つ」文化。ドクター間の協力が最も困難だったんです。私のやり方にもまずい点があったと思います。
本来、地域医療のために手を携えるべきなのですが、医師や地域の特性として、新しいものへの抵抗が強い部分があります。いろいろ苦労がありましたが、ビジネススクールで学んだことを考えれば想定内でした。アカデミックディレクターが「世の中は不条理の中で動いている。その中で生き抜きなさい」と言われましたが、この言葉を胸に前進し続けています。
正直に言うと、10年前に思い描いていた目標の2割程度しか達成できていないと感じています。残り8割の達成に向けて、さらなる若手医師の育成と自身の臨床能力向上に取り組んでいます。
10. エビデンスから導かれる結論
日本の研究では、医療費や医療従事者を増やしても死亡率は改善しませんでした。しかし、他国のデータでは総合診療医がいると改善が見られた。ただしこれは単に「医師がいるから」ではありません。
真の成功要因は、総合診療医が予防医療をきちんと提供しているからです。
国は構造を整えることはできますが、医療教育者が予防医療を提供できる医師を育成する。これこそが健康改善の鍵です。私の使命は「若手医師を育成し、病気を治すだけでなく予防医療をきちんと提供できる医師を増やす。それが地域の健康改善に繋がる」と信じて、様々な場面で若手育成に励んでいます。
これから証明すべきことは、総合診療医が増えることで、日本でも他国と同様に死亡率・疾病発症率が下がるのかということ。これには10〜15年の長期プランが必要です。若手育成には時間がかかりますし、予防医療の効果が現れるまでに時間がかかる。日本独自の保険制度の中で、海外のエビデンスが再現されるかを証明することが、私たち総合診療医の世代的使命だと考えています。
11.MBAの学びを社会に還元する
私の事例が示すのは、MBAは社会変革の触媒となり得るということです。石田先生の社会起業論がキャリアの転機になり、石川先生の指導でリーダーシップを学び、ビジネススクールの学びが医療現場での困難を「想定内」に変えてくれました。
日本の医療は、住民に寄り添う総合診療医の育成と地域コミュニティの活性化にかかっています。それを実現するのは、エビデンスに基づく政策立案、長期的視点でのリソース配分、人材育成への投資。これらはすべて、MBAで学ぶマネジメントの基本原則に通じるものです。
ビジネススクールでの学びが、自身のキャリアだけでなく社会全体にインパクトを与える可能性を、私の歩みが少しでも示せていれば幸いです。