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コラム

MBA column

「考動」することの重要性~牽制機能として「感じて・考えて行動」する~

■ ビジネスにおける「勝ち方」の変化

現在はGAFAといわれるインターネットの巨人達が力を振るうプラットフォームの時代です。「決まったことをきちっとやり遂げると結果がでる」時代ではなくなっています。製造業などではスマイルカーブという言葉に代表されるように、コツコツとやりつづけることで結果が出る物づくりではなく、開発やアフターサービスが重視され、そこで付加価値を生む時代となっています。どこででもできることを、人手を使って当たり前のように取り組んでいるようでは、競争社会では必要性が低下し組織継続すら危ぶまれます。結果が出なくなってきた理由のひとつは、結果を出すための情報が行き届くようになったことがあげられるでしょう。

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従来は人から人へ感覚によって伝承されることで転移に時間がかかった技術や方法論が、デジタル化されるようになり瞬時に転送されます。いままでは「根性と気合が勘所だ」といわれていた、「目に見えない部分」が明らかにされ、「時間を掛けないと身につかない」といわれていたことが短縮されています。希少価値を高めるならば、技術などを囲い込んでしまって、拡散できないようにしたほうが良いわけで、勘所を明白にしたことが、かえってものづくり面で付加価値が減少するというある種の矛盾を生んでいます。目に見えなかったことが明らかになると、得をするのは初心者や初学者です。ベテランや力のある人にいち早く追いつくことが出来るようになります。早期育成が可能だということです。

■ 立場の違いに存在するリスク

さて最近、一流といわれ実績を上げてきたスポーツ指導者の行動が問題視されています。野球・サッカー・体操・アメリカンフットボール...。報道されているだけでも、多くの数になるので、パワハラ・セクハラなどのハラスメントの実態を考えると恐ろしくなります。ハラスメントは、行う側にその認識がないことが問題だとされます。「良いことをしているのに、なぜ相手はそれを理解できない」と偉丈夫に振る舞うので、余計に問題を複雑にします。

とくに義務教育をはじめとする学生スポーツは、精神と肉体の両面がまだ成熟していない学生や生徒を対象としているので、技量習得だけではなく教育という面も重視されます。ただ指導を受ける側の意識や取り組み、そして基本的な能力自体に不足や不備があることも多く、「できないのは自分が悪い」という認識を生みがちです。指導側が正しい指導方法を持っていたり、指導法を最新のものに更新しているかというと残念ながらそうではない場合が多いようです。おかしいと感じても指摘する根拠を、指導を受ける側が持っていません。指導者が圧倒的に有利な立場です。「結果が出ないのは教えたことをできない者が悪い」とすることができます。本来、指導すべきポイントやステップは、科学的な面から明らかになっています。ウサギ跳びなどに代表されるように非効率で無駄が多く根性論に近い練習方法は、明らかに指導者の怠慢です。

もう一点の問題があります。チーム競技の場合、「試合に出る選手に選ばれたい」ということで指導者に逆らえないということです。選手を選択する権利を持つ指導者に気に入られないと、力があっても試合に出してもらえない恐怖心もあり、いきおい指導者に気にいられようと振る舞います。逆らえないのですから、指導者は圧倒的優位な立場に安住することになります。いままでどれほど多くの優秀な人材が、指導者との相性が悪いというだけで、そのスポーツを辞めることになったか。

また不十分な指導のせいで怪我をしたり、選手生命を絶たれた方が多いかを考えると怖いなと感じます。「指導者にハイハイと返事をしておけば良い」という短絡的行動を誘発します。人の意識や行動の特注を説明する「ヒューリスティック」という言葉があります。刺激に対するオートマチックな反応です。本質を見抜こうとせず、少しだけの認識で重要な判断をすることを意味します。言われたことを自動的に何も考えずに執り行うことには限界があります。

ビジネス社会では、経営者が力を持つことは、結果を出すために重要な要素だと言われます。困難に立ち向かうときには、躊躇する人達を鼓舞していかなければなりません。従来のしがらみを絶つために、大なたを振るうことや、大きな投資をするには勇気が必要です。いわゆるカリスマ型経営者やプロ経営者である必要が生じます。しかし、そこには先ほど述べたスポーツ界と同じ構図が含まれています。一人の経営者がすべてを仕切るようになると、周囲はそれに従うことだけを目的に行動するようになります。経営者が経営のすべてなので効率的です。顔色を見て忖度する経営となれば、牽制機能が働かないので、誰も止められない荒れ狂うリバイアサン*が誕生します。ビジネス社会そしてスポーツ世界でも、「おかしいことはおかしいとつぶやく」ことが必要です。また、それを許容することは、健全な組織をつくるために必須のことです。

*旧約聖書に登場する海中の怪物。原義から転じて、単に大きな怪物や生き物を意味する場合や、それを想起させるような物の名称や代名詞的な存在として用いられる。

執筆:人事コンサルタント / コンソリューション
廣岡 久生